
リモコン
「タカシ、テレビつけて」
 母さんがいった。
 僕は母さんの言いつけどおり、リモコンの「オン」を押した。
 けれどテレビはピクリとも反応しなかった。
 様々な可能性が頭をめぐった。
 けれど僕はすぐに最大の問題点に気づいた。
「母さん、大変だ。電源が、テレビの電源自体が入っていないんだ」
 母さんもすぐに事態を把握して愕然としていた。
「なんてことなの」
 母さんは必死にテレビの電源に手を伸ばそうとした。
 しかし無情なことに、すんでのところでその手は電源にはとどかなかった。
 片手で体重をささえて、もう片方の手をテレビに真っ直ぐ伸ばしているものだから、母さんの体は無理な体勢でプルプルと小刻みに震えていた。
 僕はもう見ていられなかった。
「母さん!もういいよ!もうやめて!」
 だけど母さんは諦めなかった。
 何度も何度も、全身を伸ばすようにして電源に手を伸ばそうとするのだ。
「もうやめてよ!そのままじゃ母さんが、母さんがコタツから完全に外に出ちゃうよ!」
 僕の言葉を聞くと、不安そうな顔をしていた妹のミカが、うわっと泣き始めた。
「うえぇん、お母さぁん、コタツから出ると寒いよぅ」
 だけど母さんはミカをなだめるようにいった。
「ミカ、泣いてはだめよ。人はこんなときこそ気を確かに持たなければいけないの。強くありなさい。それに私は寒いのがいやでコタツから出たくないんじゃないの。面倒だからなんとなく出たら負けと思っているだけ」
 その言葉に応えるように、ミカはしゃくりをあげながらも、なんとか涙を止めようと努めていた。
「くそう、こんなときに父さんがいてくれたら…」
 母さんは本当に歯がゆそうに続けた。
「それなら父さんに行かせるのに…」
「もう諦めようよ!だってこのままじゃ母さんが…コタツから…コタツから出なきゃならないじゃないか」
 僕の目にも涙が浮かんできた。
 母さんは僕とミカの様子をうかがうと、一瞬考えるような顔をした。
「タカシ、リモコンを貸しな」
「母さん!何をいってるんだよ、母さん!リモコンは…ダメなんだよ。元が…元が入ってないんだよ」
 しかし母さんは断固とした口調でいった。
「いいから、渡しなさい」
 僕は母さんの力強い口調に負けて、あとは黙ってリモコンを手渡した。
 母さんはミカの目を見つめると、厳しくて、そしてとてもやさしい目をしていった。
「ミカ、いいわね。強くありなさい。そして賢い人になるの。賢いとはつまり怠惰なことよ。あなたならできるわ。だってミカは、ミカは母さんの子どもなんだから。いいわね」
 ミカはしゃくりをあげながらも、しっかりと、首をたてに振った。
 母さんはミカの返事を見ると、ニコリと微笑んで、再びテレビに向かって全身を伸ばした。
「母さん!」
「お母さぁん!」
―――――
 かちゃん、と電源スイッチの押される音が聞こえた。
 そして母さんは…母さんの体は、コタツから完全には出ていなかった。
 その足先は、確かにコタツ布団の中にはいっていた。
 この人は本当に強くて賢い人なのだと思った。
 だって届かなかった距離は、確かにリモコンによって埋められていたから。
 母さんは、その手に持ったリモコンで、しっかりとテレビの電源スイッチを押したのだ。
 そしてテレビは、ふぃんと音をたて
      じんわりと
           画面が
              映し出された
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