
取扱説明書
「いいわね、読むわよ」
取扱説明書を手に、思いつめた顔をして母さんがいった。
僕と父さんは緊張してゴクンとつばを飲んだ。
今日、とうとう我が家にもあの憧れのエレガがきたのだ。
「まず本体のふたを開き、ジャックを90度ひねります。次にディスペンサーをいったん取り外し、サスペンダーを調節します。重要な箇所になりますので、調節は図1を参考にしながら慎重に行ってください。それから付属のデプロニュータを図2のような形で挿入し…」
一瞬僕らは神妙な面持ちで、お互いの顔をしげしげと見つめ合ってしまった。
父さんも母さんも、そしてたぶん僕も、不安そうな表情を浮かべていた。
「ぶっ」
父さんが吹き出した。
「はっはっは!で、で、で、デプロニュータだって!ぶっ、で、で、デプロニュータだってよ、おい」
「ぶっ」
つられて僕も吹き出してしまった。
「か、か、か、母さん、ぷっ、で、デプロ、デプロ、ぶはははは、で、で、で」
「ぶぶっ」
「賢治、で、で、デプロひぃっひ、デプ、デプ、デプ」
父さんがどうしようもない状態になってしまった。
「か、か、か、母さん、で、で、デプロ、ぶぶっ、で、デプロ、くっくっく」
「ぶっ、ぶぶっ」
しきりに面白がる僕らを、母さんは困った顔をしてみていた。
「ちょっとあんたたち、なに笑ってんのよ。これじゃあいつまでたってもこれが使えないままじゃないの」
「いや、ちょ、そ、そうなんだけどね、か、母さん。で、デープロニュータだよ、デプロニュータ」
「ぶっ」
「で、で、デプロニュータなんて聞いたことあるかい?ぷっ、で、で、デープロニュータだぜ。で、で」
そんな折、とうとう母さんが切れた。
「お父さん!」
「はい!」
「分かってるわね!」
「はい!すみません!」
それから父さんは、「あ、いや、まあ」なんてごにょごにょ言ってから、急に威厳に満ちた表情を浮かべて、「いつまでもふざけてるんじゃないぞ、賢治。こういうのはけじめが肝心だ。父さんを見習えよ」と僕をしかった。
僕は、ずるいや、と思ったけど、一応家長を立てる意味でも「はい」と素直に返事をしておいた。
「それで母さん。そのデプロニュータをどうするんだって?」
すると母さんは再び取扱説明書に目を落とした。
「ええとねぇ、デプロニュータを図2のような形で挿入し、図3のようにフォーションタンクと接続します」
その瞬間、僕は父さんの目がきらりと光るのを見逃さなかった。
「母さん、デプロニュータがなんだって?」
「デプロニュータを図2のような形で挿入し、図3のようにフォーションタンクと接続します」
父さんは少し遠い目をした。
「…、え?」
「だからぁ、デプロニュータを図2のような形で挿入し、図3のようにフォーションタンクと接続します」
父さんは、申し訳なさげに肩を落としていった。
「すまない…母さん。よく聞こえないんだ。もう一度お願いできるだろうか」
「デプロニュータを図2のような形で挿入し、図3のようにフォーションタンクと接続します」
そして父さんは、いつになく真剣な表情を浮かべてこういった。
「母さん。もう一度、お願いします」
「デプロニュータを図2のような形で挿入し、図3のようにフォーショぶっ」
母さんのそれを合図に、3人して倒れこんだ。
「はっはっは!デプロニュータがフォーションタンクだって!」
「ぶぶっ、で、で、デプロニュータって」
「ふぉ、フォーションタンク。フォーションタンク、くっくく」
「デプロっを、っはっはっは」
「フォーショっに、ぶっ、くっくっく」
「接続します、あっはっはっは」
結局エレガはそのまま物置にしまわれてしまったけど、何はともあれ幸せな我が家。
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