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30点



「30点」
これが夫の常套句だ。

お昼のワイドショーでは、「だんな様を素敵にコーディネート」というコーナーをやっていた。
それは普段家でぐうたらしている夫を、番組が費用や人材を用意して、まともな格好に仕立て上げるというものだった。
髪型、服装のコーディネートから姿勢強制の指導まで番組が行う。
すると最初はだらしなかった夫が徐々に見栄えよく変身していくのだ。
実はこのようなコーナーの流れはほぼ毎回おんなじで完全なマンネリズムなのだけど、時代劇と同じような楽しみがあり、なぜか毎回欠かさず見てしまう。

今日も変身した「だんな様」が、今初めて生まれた、みたいな顔をしてカメラに映し出されている。
そしてレポーターは彼にいつものお決まりの質問を投げかける。
「今日の満足度は何点ですか?」
すると件の夫は、満面の笑みでこう答えるのだ。
「120点です!」

「ばーかが」
その番組をつまらなそうに見ていた我が家のぐうたら夫は、憎らしげな表情でそうつぶやいた。
ならば見なければいいのに、と思うけど口にはださない。何かと面倒だから。

夫は先刻私が入れたお茶をぐびりと口に含み、皮肉っぽくこう言った。
「30点」

もう憎たらしいとも思わなかった。
夫は昔からそういう人なのだ。

―――――

そんな折、テレビ局から我が家に連絡があった。
何でも件のワイドショーのコーナーへ出演してほしいとのことだった。
たしかあのコーナーは応募制で、私には全く身に覚えがなかったのだけど、話を聞いてみると、どうも娘が勝手に応募していたらしいことがわかった。

私は俄然乗り気だった。
もともとあのコーナーは嫌いじゃないし、それに変身してくれたら夫の内面も少しは変わるかもしれない。
だけどさすがにあの夫が承諾するとは思えなかった。
定年退職してからはまったくの出不精で人と会いたがらず、しかも夫はあのコーナーを完全にバカにしていたからだ。

しかし娘の厚意も無駄にはしたくなかったから、ここは踏ん張るぞと勢い込んで夫にその話をすると、驚いたことに、夫は思いのほかあっさりとコーナー出演を受け入れてくれた。

意外だった。

―――――

撮影の日がきた。
テレビとはもっと大掛かりなものだと思っていたけど、テレビ局からやってきたのは想像の半分にも満たない少人数のクルーだった。
コーナーの決まりで、家族は夫の変身過程を見ることはできないことになっている。
そのため私はオープニングの撮影を終えると、あとは夫の変身後まで別のところで待つことになる。

夫は、テレビ局の小所帯に連れられて、普段は到底近づきもしないような街の中へと消えていった。
まるで連行されているみたいでおかしかった。

夫の表情は終始むっつりとしていた。
だけどいくらあの夫でも、いろいろとコーディネートしてもらえれば気持ちよくもなるだろう。
次に会うときは照れながらも嬉しそうにしているに違いない。
そんな風に思うとなんだか胸が弾み、私は年甲斐もなく小躍りした。

―――――

しかし、私の考えは甘かった。
確かに夫はコーディネートされて帰ってきた。
髪型はさっぱりしたし、服装もよく似合っていた。
だけどあの表情は、斜にかまえたあの態度は、居間でごろごろしているときのものとまったく何も変わっていなかったのだ。

やっぱりだめだった。
私はなんとか自分ががっかりしないように努めた。
極力気にしないようにすることで、これまで私はどうにかこの人と付き合ってこれたのだ。

レポーターは夫のリアクションの薄さに困惑しているみたいだったが「まあ緊張なさってるんでしょうか」といって、なんとか場を盛り上げようとしている。
しかし夫は依然むっつりとした表情で立ちつくしている。

そしてとうとう、夫に例の質問が投げかけられた。
「今日の満足度は何点ですか?」

夫はしばらく難しい顔をして黙り込んでしまった。
まるで何か重大な決断をしているような表情だった。
そしてようやく口を開いたかと思うと、夫は吐き捨てるようにこう答えたのだ。

「30点です」

思わず私ははっと息を呑んだ。

レポーターを始めテレビ局のスタッフたちは一様に驚きを隠せない様子でいる。
それもそのはずだ。ここでの返答は「100点」かそれ以上と相場が決まっているからだ。

レポーターは夫の言葉を冗談だったということにして、なんとか仕切りなおして同じ質問をした。
「今日の満足度は?」
しかし質問をされるたびに、夫は顔を真っ赤にして、なんどもなんども同じことを繰り返した。

「30点です」

「30点です」

私は思わず涙をこらえた。

この人は不器用でどうしようもないほど皮肉屋だけど、私が思っているよりもずっと素直な人だったのだ。

今までぜんぜん気がつかなかった。
夫の採点はいつも、「30点満点」だったのだ。


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