ちと反珍道中(旅行記)−どこからか飛んできてメニューが表示されていない人はここをクリック

後記



2008年4月、ホームページのリコンストラクトに伴い、この後記を記している。



この『思い出の混浴シリーズ』は、元々バンド(暗所保存)のホームページの<メンバーの日記>の欄に書いていたものだった。
あの日の晩、一日を振り返って、文章にしたら面白いかななんて、ほんのちょっとした気持ちで書き始めたのがきっかけだった。

しかし書き始めて分かったのだけど、一日の出来事を記憶を頼りに思い出しながら文章化する、というのはなかなか大変なことで、「ちょっとした」ものとして簡潔に記すのは不可能だった。
実際、出来事を順を追って書き加えていくごとに、文章は膨大な量になっていった。

最終的にその量は、<メンバーの日記>というバンドのメンバー4人で共有しているスペースに収めておくには多すぎるものとなってしまった。

そのため、僕は個人のページをそことは別個に立ち上げて、これらの文章をそちらに移行することにしたのだった。


そしてその別個に立ち上げたページは、しばらくののちにホームページの体を取り、いつしか<ちとした反逆罪じゃの>として完全に独立した。
つまり、自分の思うところをあれこれ書いてきたこのホームページだけど、全てはこの『思い出の混浴』から始まったのだ。



今回の移行に伴い、改めてこの文章を読み直してみつつ、んーと唸ってしまうような部分が多々あった。
しかし言葉違いがあまりに酷い場合に多少の手直しを加えた程度で、その他ほぼ全ての文章を当時のままの形で移行することにした。

確かに酷い文章だけど、今はもう出せなくなった「ノリ」をそのままにしておくのも良いだろうと判断したためだ。



この友人たちとの珍道中があってから、5年もの時が過ぎた。

「思い出の混浴」を求めてさまよったあの日自体が、今では一つの思い出となってしまっている。
「今」はこうして「過去」になるのだ。

あの時同行したNとJとは、今でも半年に一度は集まっている。二人とも元気にやっている。
最近の僕らのもっぱらの話題は、薄れゆく毛髪をいかに現状で留めるか、である。

初めてあの温泉に行ったときに14だった僕らも、今年で27になる。





ところで、この文章を読み直してみて、改めて終わり方の酷さに驚いた。我ながらびっくりした。
エンディング直前までの流れはそれなりにきちんとストーリーだっていてなかなかいい。
ただそこからあまりにも突然、プツっと切断するように終了してしまっていて、そこが非常に惜しいところなのだ。

しかし実際のところ、本文にもあるように、このときの僕らの旅には「オチ」が付かなかった。

蛇足ながらここにあの日の事の顛末を記すが、これを見てもらうと、例え何かを書いていたとしても、それがいかにつまらないものになっただろうか、ということがご理解いただけるだろうと思う。



最終的に僕らが行き着くことができた思い出の温泉「湯の禅」はとても風情があって、いいところだった。
ただとても残念なことに、一番奥にあったはずの混浴部分がコンクリートでがっちり区切られてしまっていたため、僕らにかつての興奮が蘇ることはなかった。

温泉(湯)自体の印象は全くない。覚えていない。
というのも、あろうことか僕らはここに到るわずか1、2時間前に、別の温泉(直方の「河童の湯」という思い出も何もない温泉)につかってしまっていて、しかも800円という、微妙にイタイ金額を払っていた。
そしてこの「河童の湯」では、温泉腹が満腹になってしまわないように足早に上がったつもりだったのだけど、「腹八分ダイエット」のごとく、しっかり一時間後には満腹になってしまっていた。

このような状態で思い出の「湯の禅」につかったところで、ことさら温泉好きなわけでもない若者三人が、あー気持ちいい、ハッピー、ピース、と思えるはずもない。

むしろ本音としては、「河童の湯」と「湯の禅」の合わせて2000円近くにもなる入浴料に財布がクライベイビーであることのほうが気になっていて、それどころではなかったのだった。



大方このようなものだったと思う。

これでは確かにオチも大団円も付けようがないのである。
そのため確かに酷い終わり方だけどああするより他に手がなかった、といえばそうなんではなかろうか。

事実は小説よりも奇、というが、やはりそんな「事実」は稀で、往々にしてつまらないのが「事実」なのだということなんだな。



なんて、夢がないことを言うようになった僕は26歳になりました。