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記憶の蓋を開ける



人間というやつはとことん上手いこと出来ておるなあと、思わず感心させられる。

というのは、よく、人間は嫌な記憶の蓋を閉じる、忌まわしい記憶を本能的に忘却する、といったような類の如何にも胡散臭いことが言われているが、それがまさに我が身に起きたのである。

昨年(03年)のある日、ふとしたきっかけで一つの記憶が呼び起こされた。



中学二年生のときのことである。

私は生まれて初めて女の子に自分で選び、購入したものをプレゼントすべく、思案巡らせていた。

というのも、なんだかこの娘かわいいなあと思っていた子から上手いことバレンタインにチョコレイトを頂けたもので、そのお返しというやつだったわけなのだ。

奈何せんおっとこ前なものでの、にょほほほほ。

しかし拙いのが、小生堅物なところがあり(これは未だに)、浮かれた雰囲気というのがなんとも恥ずかしい。

今でも特に『ホワイトデイコーナー』のような処に群がって商品を物色するなんぞということは想像するだけで発狂しそうになる。さらに店員から「あ、この人もお返し用のプレゼントか」などと思われるのではないかと考えるとたまらなく嫌な気分になる。

未だにそうであるのだから、今より不慣れな当時の心境というものは筆舌極まるものがあったろう。



さらに拙いのが、当時私は体育会系の部活をしており、月休1日という超ハードスケジュールをこなしていたわけで、とにかく休日がないものだから買い物へ行くようなこともなく、何かしらを購入する店舗がいずこにあるか、なんぞということは知る由もなかったわけである。



そんなわけで、浮かれ狂っていそうな街へ繰り出すこともなく、また気心知れた店、ちゅうことで向かったのはミスターマックスなのであった。ちなみにこのミスターマックスって全国チェーンではないかも知れんので一応言っておくと、片田舎にあるドンキホーテみたいなもんね。所謂ファミリー向けショッピングセンターってやつ。

そんで、小心者でもあったので(これも未だに)、「昔はモテタんだぜ」と豪語していた大野君という奴を「お前の助言が欲しい」とおだてて引き連れていったのであった。

私も悪い奴だが、こんな言葉にそそのかされて、ひょいひょい着いてきてしまう大野君は底抜けのいい人か、あるいは底抜けの阿呆である。



真偽は知らぬがかつてはモテていたらしい友人とともに、ファミリーの集うショッピングセンターへ行く。

生まれて初めて女の子に贈り物をすべく14歳少年の下した決断はこのようなものだった。



そんで着きましたるはミスターマックス。

釣具にキャンピンググッズから婦人服まで、何でもござれのミスターマックスである。

客層から妙に15〜25歳辺りの『若者』が少ない、で御馴染みのミスターマックスである。

ゴーハッピーデイ、レッツゴーショッピング、のミスターマックスである。

といくら店選びの間違いを言及したところで(女の子へのプレゼントにはどうかという点で)、しかし全くもって他に当てがないもので、ミスターマックスで致し方ない。

では今の感覚で、もしこの限られた状況におかれ、贈り物を購入するとしたらどうするか、と考えるに、しかし案外突破口は開けるものだ。

例えばコロンなんか贈ればよい。

そこは当時の中学生身分であるから「まあコロンなんて、あの方ったらハイソサイエティーなご家庭に生まれ育ったのね」なんて言われたに違いない。しかも安価であがる。

好きなCDなんかでも良かったんじゃないか(安価だし)、など、いくらでも行くべき道はあったのである。

しかしそれは23歳になった私の判断であって、当時の私には思いもよらないことであり、あん時は恐らく2時間3時間といった間店内をうろつき回っていたと思う。

私はいいが、大野君にとってはいい迷惑である。

序盤は協力的だった彼も、1時間を越した辺りから「これはどうかね?」という問いに対し、あらゆる返事が「いいんじゃないかなあ」と空返事になり、2時間を越そうという頃にはレスポンスもせぬようになっていた。

そしていよいよ業を煮やしたのか、自称かつてはモテた男大野君はこう言ったのである。

「プレゼントというものは気持ちが大切であって、決めかねた時は君が一番欲しい物を贈ればいいのだよ。」

さすがは昔モテていたと豪語するだけのことはあって、実にいいことを言うではないか。

そうプレゼントとは気持ちが大切なのだ。

さすが大野君、かつてモテていただけのことはある。

しかし、思春期真っ只中の阿呆であった私の耳には、肝心のその部分が届かず、私は後半の、自分が一番欲しい物云々という部分だけを抽出し、鵜呑みにしてしまったのであった。

愚の骨頂、阿呆の極みである。

そんで私はその頃一番欲しかったものを購入し、店員に申し付け丁寧に梱包までして貰ったのだった。



さても、このようにして大野君という奴の協力を得つつ、生まれて初めて自らのセンスを駆使し、女の子にプレゼントを買った私であるが、やはり阿呆としか言いようがない。

未だに女心というやつはさっぱり分からんでおるが、少なからずあれでは喜ばんということぐらいよく分かる。



私が初めて買ったプレゼントとは、あろうことかなんと『ラジオ付きランタン』だったのだ。



ランプにラジオがくっついていて、地震や停電時に重宝されるあれである。

通常時には「ラジオはいいけどなんでランタン?」と不可解極まりないあれである。



無知ほど怖いものはない、とよく言うが、あれは本当である。

思春期真っ只中、無知蒙昧の私めはまさに先見の明を持たぬ、恐れ知らずそのものだったのだ。

ホワイトデイのお返しに、このような災害グッズを贈られたらどう思うか。女性諸君よ。

あれよ、吉村さんは常に危機感に直面しておわすのだなあ、惚れ直し、なんて方向に話が進もうか。

そう、危うく私は地元にて「非常時に備えある男」という実に誉れ高いレッテル(うーんパラドクシカル)をいただく羽目になるところだったのだ。



今「危うく」と言ったが、この時、幸運なことに(というのも皮肉なものだが)ホワイトデイ直前に、私は当の彼女から『戦力外通告』をいただくこととなったのだった。

当時の私にしてみれば、不幸としか言いようのない出来事であったのだが、はっきり言って助かった。10年後の私は少なからず救われたのである。よくぞ振ってくれた。





さても記憶の蓋の話に戻るが、私は以上のような出来事を、ここ10年ほど全く持って忘れており、本当にある日突然これを思い出したのだ。そして思い出してみると非常におかしいので、これはネタにせねばということで、知人友人に散々聞かせて歩いている。
しかし不思議なのが、一度思い出してしまえばこれほどまでに鮮明に思い出せるこの一連の出来事を、つい最近まで一切忘れてしまっていたということなのだ。

そもそも通常ならば記憶というのは時間の経過とともに薄れていくものであるが、今回の場合は、その出来事から10年という年月を経て、突如思い出されたのだ。

これは何故か。

思うにこれが、脳が生存のため本能的に下した、記憶の抹消すなわち<記憶に蓋>によるものではないか、というのが私の考えだ。



正直なところ、今となってもこの出来事はかなり痛い。

書いていて顔から火が出るごとくに恥ずかしい。

しかし恥ずかしいとは言え、その恥はこうしてネタにして笑い飛ばすことのできる程度のものである。

もしこれがあと3年早ければ羞恥の炎に焼かれ、おぅがぁぁぁぁあとか意味のないことを叫びながらマクラを殴り、タンスに頭をぶつけ、部屋の壁を打ち抜くといったことをしていたかもしれない。

つまりこれが人間の生存に関する危機なのだ。

そしてこの危機に対して、脳が記憶の蓋を閉めることによって、私はその記憶より無駄な心の葛藤を受けることを回避、事なきを得ることが出来たわけだと考えられる。

10年一昔。

私もかの出来事から10年という月日を経て、ようやくそれを「過去」の出来事にすることが出来たからこそ、今になってふとこの記憶が湧き出すように思い出されたのではないだろうか。





ところで気になるのが大野君である。

私の我が儘に愛想を尽かしつつもここまで付き合ってくれ、なおかつ真摯な姿勢で助言までくれた。
そんな底抜けのいい人である彼が、なぜ私の上の過ちに対して一切の静止を試みてくれなかったのか。

やはり同時に底抜けの阿呆だったのだろうか。

不可解である。



そういえばラジオ付きランタンを買っている私の横で、大野君は一体どのような表情をしていたろうか。

他のことはよく覚えているのに、彼の表情だけが全くの空虚、思い出せない。

もしかすると彼は、私のトラウマになりかねないほど、おぞましい表情をしていたのかもしれない。能面の笑み、のような。

どうもこの記憶の蓋だけはしっかり施錠しておいた方がよさそうである。