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ミュージさんのジレンマ



ミュージシャンというのは数奇なもので。

と書き出すと、さも自分が現在ミュージシャンあると自称しているような気がし、なんとなく語弊を感じるわけだが、しかしさりとて僕もかつては確かにどっぷり音楽活動をしていたわけだから、全く嘘ともいいがたい。

そこでこう書き直してみる。

ミュージさんとは数奇なものだ。

まだ足りないというのならば、ミュージおじさん、ミュージしゃちょさん、ミュージ産チャンリンシャン、最悪、ミュージマンまでなら妥協するつもりだ。

しかし本当に音楽をやる側の人間というのは(始めからそう書けばよかった)、そうでない人たちと比べ、決定的な一つのジレンマを抱えている。

とはいえ実際には、貧乏、自我・人間関係崩壊云々といった無限の葛藤がそこにはあるわけだけど、ここではもっとライトな部分だけをヒューチャーしたい。

して、そのジレンマとは、音楽を聞く際に<二つの耳>を持ってしまうということなのだ。

つまり、ミュージ産チャンリンシャンは、ある一つの楽曲を、聞き手・やり手という二つの観点から聞いてしまう、というジレンマを抱えているということだ。



と、これまでさも普遍的な話をしている口調で書いてきたが、ここで話は突如僕個人のものになる。

ロックの系譜を大胆に大きく二分すると、おそらくビートルズ系とストーンズ系に分けることができると思う。
簡単にいえば「お上手」路線と下手糞な「ロック志向」路線の二つだ。

これは面倒だからハードロックに限定していうと、ビートルズ路線にBon Jovi・Mr.Big.etcetc…といった面々、ストーンズ路線にAerosmith・Gun N' Roses.etcetc...といった面々が挙げられるんではないか。

恐らくこの二つの系譜は今の音楽(ロック)にも当てはめることができると思う。面倒くさいのでしないけど。



話はミュージしゃちょさんの<二つの耳>に戻る。

ミュージマンだった僕の耳は、完全に上のロックの二つの系譜へと分断されている。

リスナーとしての僕の好みはビートルズ路線――
Dream Theater、Queen、Bon Jovi、Extremeなど。

一方プレイヤーとしては完全にストーンズ路線に変わる――
Van Halen、Guns N' Roses、Ozzy Osbourne、Aerosmith、そして何より自身でやっていた暗所保存。

これらの大きく二分されたバンドの楽曲は、僕にはこう聞こえる。

――いいね、この曲、ほんといい曲。お上手だね。上手いなー。このリバーブの感じがなかなかだせないんだよなー。あーなるほど、ディレイはこういう風にかければ効果的なわけね。しかしこのギター、上手いけど面白みはないよね。ついでにいえば楽曲も。

あるいは

――下手だなー。でもこの荒い部分がなくちゃロックって面白くないんだよな。うーん適度な下手さ。思い切りのいいバッキング。好感が持てるね。だけど音源としては、どうかな…。



やはり書いてみて確信したが、ミュージおじさんはやはり数奇なものだ。

リスナーとして楽しもうとすれば、プレイヤーorミキサーとしての耳が働き邪魔をする。プレイヤーとして楽しもうとすれば、リスナーとしての素直な意見が顔を出す。

もはやシンプルに音楽を楽しむ、ということができなくなってしまっているのだ。
なんて不幸なこと。



先日ロン(当サイトでは『大宰府でポン』でおなじみ)さんと、なぜヘビーメタル系のギタリストは「こうなってしまった」(Burrnの表紙参照)のか、という話をした。

※ヘビーメタルのギターがどういうものか、多くの人は知らないと思うが、彼らについては「一秒間にいくつの音をだせるか」を追求した人たちだと理解してもらえればいいと思う。血のにじむような練習をしないと弾くことができないレベルに達したギタリストたちである。常軌を逸した早さで指が動く。めちゃくちゃ上手い※

恐らく多くのギタリストは、モテたい、という一心でギターを始める。

しかし残念なことに、ギターとは上手くなればなるほど、モテなくなる楽器だ。

僕の経験上、モテようと思えば、ゆずとかミスチルといった、国内で高い知名度を得ているミュージシャンたちの曲をコードで弾ける、いや「弾ける」というのはハイレベルなものを指す言葉なので、その曲のコードのおさえかたを「知っている」程度が最も好ましい。

それ以上になる必要はない。というよりも、なってはいけないのだ。

しかしギターというものには「道(どう)」のようなものがあって、始めれば上手くなろうと精進するものなのだ。

そしてこの道(どう)は引き返すことができない道(みち)でもある。
ある程度上手くなれば、そこらへんの路上で適当にコードをかき鳴らしているアンちゃん(特にその傍らに、いいの、わたしだけは分かってるから、みたいな顔したねえちゃんが付いてるような)たちのようなマネができなくなる。

つまり「モテ」という観点からいえば、ギターの道とは「進むも地獄、戻るも地獄」なのだ。

「地獄」というギミックを用いているハードロックバンドがいくつかあるが、彼らのいう「地獄」とはつまりこういう意味だったのである。



閑話休題。話は<二つの耳>に戻る。

おミュージはんの持ってしまう二つの耳は、このへービーメタルギタリストのモテなさ、の話に似ている。

できることならシンプルに音楽を楽しみたかった。できることなら女の子にモテたかった。

しかし、しらないうちに自分が「道」の世界に入り込んでしまっていて、気がつけばシンプルな部分とかけ離れたところにまで来てしまっている。

そしてそこからは引き返すこともできず、道の深みにどんどんはまり込んでゆく。
誰もそんな風になりたいと望んでいたわけではないのに…。

これがミュージさんのジレンマなのだ。



ところで気になったのが、リスナーとしてお上手な楽曲を好み、プレイヤーとして下手糞な楽曲を好む僕の趣向って…。

え?それってつまり、単純にいえば、俺がギター下手なだけってことになるんじゃ…?

なぬー!ちっきしょー!

世界、滅べ!



10億年後に。