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怖いはなし



 天高く、うらめしや、秋。
 いよいよ怪談の季節である。

 最近はめっきりそういう機会を失ってしまったが、僕は無類の怪談好きだった。
 人と集まるたびに百物語に挑戦するような、健全で明るい青春時代を送った。
 毎度99話までははっきりと記憶にあるのだけど、誰が100話目を話したかどうしても思い出せない、なんて思いがけないハプニングがあったりして、あははうふふと楽しくやっていた。
 今思い出してもいい思い出だ。

 ところで怪談の系統についてときどき考えることがある。
 そもそも怪談といえば、イコール幽霊の話しだった。

 パターンは豊富で、定番としては
1.誰もいないはずの、シリーズ
2.お前だ!シリーズ
3.遭難、シリーズ
4.学校、シリーズ
など、思いつくままに並べてもこれだけのパターンが思い出される。

 また、亜種として
1.よくみたらぎっしりと、シリーズ
2.実はその人が、シリーズ
3.語り手が実は、シリーズ
4.今とシンクロ、シリーズ
5.ここは2階じゃ、シリーズ
6.俺は行ってない、シリーズ
7.はーい、シリーズ
etc.etc、パターンは無限大なのだ。

 恐らく厳密に思い出そうとすればいくらでも思い出せるのだが、いずれにしても、あそこで語られる主役は常々「幽霊」だったことに違いはない。

 ところが、怖い話しをする機会が減り始めたころ(10年ほど前か)から、僕らのする百物語に変化が生じ始めた。
 幽霊の話しの中に、人間が主人公の話しが混ざり始めたのだ。

 例えば
1.ベッドの下に
2.人間だるま
3.金持ちの娯楽
4.ディズニーランド
などなど。

 これらの話しは人間が主役なだけに、「これは先輩の彼女が体験した」「友達の友達から聞いた」といった枕がつけられ、並外れたリアリティを伴って僕らの前に現れたものだ。
 なお、これら人間が主人公の怪談には、すぐに名前がつけられ世に定着した。
 いわゆる都市伝説がそれである。


 それにしても、怪談が幽霊というメタフィジカルなものから生身の人間に方向転換したのはとてもうなづけることだ。
 何も「やっぱり一番怖いのは人間よね」なんてしみったれたことを言う気はないのだけど、過去のことを振り返ると、確かに僕が本当に怖いと思ったできごとはいずれも人間によって引き起こされているのだ。

 そのようなわけで今回は、これまで僕が経験した二つの恐ろしい出来事を紹介したい。


1.トイレに入ると…

 あれは僕が中学生のころのできごとだ。
 僕はふとトイレに黄金水を出しにいった。
 それはもう自然の摂理というか、出すものは出すし、出るものは出る。
 何の気なしのおトイレ訪問だったのだ。

 しかし事件は僕がいよいよ黄金水を天使の竿より聖杯に注がんとしているときに起きた。

 バタン、と個室のドアがすごい勢いで開けられた。
 なお、このバタンとは、ドアが開かれた擬音語として共有されているものを便宜上用いただけで、実際にはクォ、ド、バタ、クヮシャコン、ドンドワァゼェルと聞こえた。
 突如それほどの勢いで個室のドアが開かれたのだ。
 それだけでもちょっとした事件なのだが、あろうことか、ドアは怒りまかせに蹴り開かれたものであり、さらに中からは怒り狂った不良の龍君が憤怒の形相で飛び出してきたのだ。

 何事かと見ていたら、龍君は僕をさんざ睨みつけた挙句、思わぬ一言を発した。

「クソしてわりぃちか」(うんこしてはダメかい)

 トイレにいったら不良が憤怒でクソしてわりぃちか。
 世界とはもう少し論理的なものなのかと思っていた。
 あまりのことに、黄金水は天使の竿からマリアの瞳にパトモスしてしまい、以後僕は何故か不良から目をつけられることになってしまった。

 あまりにも不条理で恐ろしい出来事だった。


2.パンツ一丁の男が…

 あれは大学時代のことだ。
 ある晩僕は、友人と二人きりで明け方まで怪談をしながら、楽しい時間に浸っていた。
 宴もたけなわというが、たけなわすぎてもはや座は発酵し始めており、一週間変えてない靴下、または納豆のような匂いが漂っていた。
 怪談はいつしかテーマをシフトしており、死とは何ぞや、死後の世界のありやなしや、といったことを真剣に語り合っていたのだった。

 そんな折の出来事だった。

 ここで視点を友人側に移したい。
 友人はあのとき、意識の表層下でこのようなことを考えていた。

 ああ、今日は常備しているお守りを忘れてしまったんだよな。
 加えていうと、Kの部屋はなんか別の存在を感じるんだよな。
 気味悪いな。お守りもないし。
 なんで死の話しなんかしちゃったかなぁ。
 いやだなぁ、なんかいやだなぁ。
 ああ、いやだなぁ、いやだなぁ…。

 視点を僕に戻す。
 そんな折の出来事だったのだ。

 怪談後の後味の悪さ、「出る」と噂されるKの部屋、タバコの煙とすすけた匂い、死と死後についての考察…。
 この異様な空気の中、ベッドに横になっていた友人がふと、ムクリ、と起き上がった。

「らぁぁぁぁぁああああああああああああああ」

 一瞬の出来事だった。
 なぜかパンツ一丁の友人は、奇声を発しながら僕の部屋をグルグルと走り始めた。
「らぁぁぁぁぁああああああああああああああ」 
 部屋に二人きりの相手が発狂したときの、とり残されてしまった人間の逃げ場のない恐怖がご理解いただけるだろうか。
 僕の平凡なワンルームは、一瞬にして狂人が走りまわるという世にも稀な空間となってしまった。

 ひとしきり部屋を走り回った友人はぱたと立ち止まると、くるり、と僕のほうを見て、言った。

「あ、もう、大丈夫」

 疑心暗鬼の沈痛な時間がいつまでも流れた。


 このように、生身の人間のやることは本当に恐ろしい。
 なんでも僕の部屋は「出る」との噂があったらしいが、6年間住んでいても、せいぜい、裸の男に首を絞められる夢を見る、だとか、空気が少し淀む、程度のものだった。
 それに比べて、人間たちが引き起こしたこれらの出来事の生々しい恐ろしさはどうか。

 怪談が幽霊を捨て、都市伝説に取って代わられた理由もうなづける気がする。


 それでは最後に、怪談フリークとして、これまで聞いた怪談で最も恐ろしかった話しを紹介したい。
 いつかの百物語で聞いた話だ。
 いったい誰が話したんだったろうか。さっぱり思い出せないが、あれは本当に恐ろしかった。
 詳細は覚えていないけれど、確かこんな感じで始まったと思う。


「あれは、俺が死んだ日のことだ」