
カフェイン
部屋でコーヒーをこぼしたら、落ちた先がティッシュケースの上だった。
なるほど、コーヒーはこぼれたが、掃除の手間は省けたわけだ。
これは得したんだか損したんだか。なんだかよく分からない思いでティッシュに染み込んでいくコーヒーをしげしげと眺めていた。
思えば15年前の夏、リングに向かうボールの放物線を眺めていたときも、たしかこんな気持ちだった気がする。
放物線を描いたボールはリングにはじかれて、ブザーの音とともに地面にぶつかった。
それを境に歓喜に沸く人たちと、肩を落とす人たちがいた。
が、僕はその中にはいなかった。
泣きながらコートを去る選手達。
論外。
ベンチで頭を抱える若者たち。
の中にも僕はいない。
もうちょっと我慢強く、注意して見ていただきたい。
スコアボード、監督、スコアラー…。
もうちょい右。
控えの選手1、控えの選手2、後輩連中。
おっと、それは行きすぎ。
その人たちのちょうど間くらいにいるでしょう。
笑ってるんだか困ってるんだか、曖昧な表情を浮かべている刈り上げ頭のやつ。
控えの選手3。それが僕だ。
あのとき僕はなぜそんな曖昧な表情をしていたのか。
もちろん自分のチームが思いのほかあっさり負けてしまったことに、一切ショックがなかったかというとそれはうそだ。
しかし実はそんなことよりも、僕の胸のうちにはある一つの思いが止めどなく湧き出していたのだ。
成就した。
試合が終了し、僕らの3年間が終わった。
一般にその瞬間がどのようにドラマタイズされるのかは知らない。
しかし少なくともこれは僕の中では「成就」を意味していた。
もっとも、それは最後までスポーツをやりきったという意味ではない。
そんなことはどうでもよかった。
この成就とは、「バスケ部の吉村君」としての成就を意味するのだ。
「ただの吉村君」と「バスケ部の吉村君」との間には天と地の開きがある。
GibsonとGibbonくらい違う。
NIKEとMICEくらい違う。
片桐はいりと片平なぎさくらい違う。
試合に敗退し部活を引退するその瞬間こそが、「バスケ部の吉村君」の名を労せずして手に入れることができる瞬間だった。
その後は何もあんな過酷な訓練に日々を費やさなくても、未来永劫「バスケ部の吉村君」という肩書きを手にすることができるのだ。
時はまさにスラムダンクブーム。
バスケ部の肩書き≒モテ。
ブラボー。
ブリリアント。
エクセレント。
しかしいくら中3の僕にでも、それが本当に得なことなのかそれとも損なことなのか、迷う程度の理性はあった。
それで僕は笑ったような困ったような顔をして、ぼんやりとボールを眺めていたのだ。
放物線を描いたボールは何度かダムダムと地面にぶつかると、やがて制止して、箱一杯だったティッシュにすっかり染み込んだコーヒーを僕は箱ごとゴミ袋に捨てた。
その後、15歳になった僕は、新たに「ギタリストの吉村君」という肩書きを手に入れるべくギターを手にすることになる。
時はまさにバンドブーム。
ギタリストの肩書き≒モテ。
ブラボー。
ブリリアント。
エクセレント。
ところが何の気の迷いか僕が進学したのは男子校で、いくら肩書きがあってもどうも「モテ」にはつながらなさそうなギターに思春期特有の怨念をこめて日々を送るうちに、こんなことになってしまった。
どんなことになったのかは僕は知らない。