
今日のポエム:困ったこと
今日、練りあめをもらった。
最初はカチカチなくせに二本の割り箸でウリウリするうちに次第とやわらかくなり、摩擦のためか温もりを帯びて、最終的には白くてトロトロになる、あの練りあめだ。
最終形態のあれは、そこまで育てた苦労の象徴であって、恐らく僕らは砂糖の甘さよりも、努力の結晶として、練りあめを愛でるのだと思う。
そんな練りあめを数年ぶりに手にし、それはもう興奮したものだった。
しかし世の中にはにっちもさっちもいかない事態というのがあって、また往々にしてそのにっちもさっちもいかない事態というのは神出鬼没なものだ。
僕はどうせなら人目を気にすることなく、心置きなく練りたいタイプの人なので、もらった練りあめは家に着くまで大事にとっていた。
そしてようやく帰宅し、さあ気合を入れて練るぞ、と思ったあたりまでは快調なムードだったのだ。
しかしここでまあ正直腹蔵なくいえば、やるかなとも思ってたというか、まあやるでしょうとかも思っていたし、やるんだろうなとも思ったわけで、そしてまあ結果として、案の定やったわけだ。
めきっと。
読者諸兄にはここで、生き残った割り箸の先に鎮座する半透明状の物体、そこに突き刺さる「無残」を物体化したような折れた割り箸の欠片、さらにはそれを片手に固まっている26歳男性の図、を想像されたい。
練れない練りあめの練れなさ。
なんか僕はもう練りきれない気持ちになって、練りったけの練りあめを手になんとか練ろうとしてみたんだけど、結局練れない練りあめは練れないので、そのまま普通のあめとしていただくことに練った。
ここで恒例の今日のポエム。
世の中には「困ったこと」ってあってね
どうにもやりきれないんだよ
届くものと離れてくもの
折れたものと残ったもの
この中には大きな違いがあってね
どうにもなんないんだよ
届かないものと離れないもの
折れなかったものと残されたもの
ただこうも思うんだ
この無残な欠片で何度か
なんとかしようとあがくのも
そのまま丸ごとほおばったりとか
なんか違った形で受け入れるのも
一つの手として
わるかない
人間だもの
けゑ
※なお、後日ロンさん(大宰府でポンでおなじみ)から「僕はあれを『水あめ』と呼んでいたけど、福岡では『練りあめ』と呼ぶんですね」といわれた。いいや、僕も「水あめ」と呼んでました。むしろ「練りあめ」ってなんなんだ。初めて聞いたわ。しかしそんな勘違いをおかすことも、ままありますよ。人間だもの。けゑ