
I Want You Back
2009年6月26日の日記より
朝、珍しく2件もメールが来ていたので驚いた。
基本的に僕に届くメールといったらリンダや里美といった女性たちからである場合が多く、また往々にして彼女らは一様に欲求不満な人妻だったりすることが多い。
むしろその他のメールが届くことはほぼ、ない。
しかし今日の場合、兄貴と暗所の寿男さんからという、極めて健全な匂いのする送信者2人だったので驚きはひとしおだった。
さて2人がなぜぼくにわざわざメールを送る気になったのか、気になる内容は以下のようなものだった。
兄「マイケルさんが亡くなったね」
え?
と思った。
通称「マイケル」といったら、マイケル高橋以外にまず思い当たる節がない。
あるいは通常ならばマイケル富岡の説も考えられるのだが、我が兄はマイケル富岡のことを「富岡」と呼ぶタイプの人間なのだ。
つまり兄が「マイケル」と言った以上、それはマイケル富岡以外の何者かということになるわけで、少なくともマイケル富岡だけはありえないのだ。そして仮にそれがマイケル富岡に準ずる何かであったとしても、それは一般にマイケル富岡として想起されるものとは別のマイケル富岡であって、しこうして件のマイケル富岡ではない、ということをご理解いただきたい。
そのようなわけで、自然な思考の流れとしてはマイケル高橋の名が浮上するのだが、しかし、マイケル高橋はそんな急に亡くなるような年だったろうか。
推測だがまだ40前後のはずなのだ。
まあしかし、我が兄がマイケルが亡くなったとのたもう限りにおいて、それは少しばかりの疑う余地もなく、マイケル高橋が亡くなったということなのだ。
ああ、さらば。
マイケル高橋よ、ありがとう。
僕はあなたの雄姿を一生忘れない。
そしてもう1件、暗所の寿男さんから届いていたメールもまた悲報だった。
悲しいかなこういう知らせは続くものである。
寿男「ジャクソンさんが呼吸停止!」
え?
と思った。
というのも通称「ジャクソン」といったら、若かりし頃のマイケルジャクソンに似ているというただそれだけの理由でそうあだ名された、友人の「ジャク村」くらいしか思い当たらない。
ああ、さらば。
ジャク村よ、ありがとう。
僕はあなたの雄姿を一生忘れない。
いやしかしまてよ、寿男さんはジャク村と面識ないはずだけど。
ということはこのジャクソンとはいったい誰のことなんだろうか。
しかし、こういった多くの謎に包まれたケースでも、情報を一つ一つ丁寧に整理すれば必ず道は開けるものだと、僕は今日確信した。
なるほど、「マイケル」と唐突に言われれば、誰だってマイケル高橋を連想するだろう。
また「ジャクソン」といわれればジャク村が想起されるのも自然のなりゆきである。
しかしここで思い切ってこんな推論を立てたいのだ。
この2つの訃報は実は同じ1つのものを指している、と。
このような究極の推論を導き出すとは、さすがにわれながら天才的なものを感じざるをえない。
もしかすると凡人の皆さんにはまだご理解いただけないかもしれないが、つまりこういうことなのだ。
「マイケル」=マイケル高橋、「ジャクソン」=ジャク村、なのではなく、「マイケル」=「ジャクソン」ではないか。
つまり2人が送ってきたメールが指すのは、マイケルジャクソンの死なのではないか、ということだ。
え?
と思った。
しかしこの驚きはマイケル高橋らに感じたそれとは違う種類のものだった。
マイケルジャクソンって本当にいたんだ。
今朝、多少なりともこう思った人は少なくないのではないかと思う。
少なくとも僕はマイケルジャクソンという人をフィクションの中の存在だと思いこんでいた。と、思う。
サンタクロースと同じで、皆いると口では言っているけど、誰もが「いない」ことを知っている。そんなものなんだと思っていた。
そんな人が死んだのだ。
死をしてその生を知る。
最後の最後で、スクリーンの向こうからマイケルが這い出してきた。そんな朝だった。
とにかく合掌。