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二月三日は恋人行事



2月3日である。

最近テレビを見ておると、豆まき・「鬼は外、福は内」としきりにやっておるので、おかしいなあおかしいなあと思っていたら、今日が節分ということだったのである。



ああくだらない。そうでっかそうでっかと、無関心に行こうとしていたが、待てよ、何だかひっかかる。

なんだかとっても気にかかることがある。

節分が何か別の意味を持っていたような気がするのだ。



何だろう何だろうと鬱蒼と思いを膨らませておったら、0時をまさに過ぎたという時に、友人からメールがきた。



この内容というのが「えー実を申しますとー、あー」と私にしか分からんようなマニアックなる大学教授の物真似で始まり、「おまえの卒業はあの先生にかかっとるんぞ!」と何故か叱られた挙句に「誕生日おめでとう」との言葉が記されておる、というものだった。



そう、忘れておったが、今日はこの小生、ミー、あちき、この私めのバースデイだったのである。



いやあ。実にめでたい。

少なからず、こうして少数ではあるが心のこもった有難きメール、あるいは掲示板への書き込みを下さる方がおるというのは嬉しいもので、この各々方のことを今日を持って以後、同士あるいは心の友と呼ぼうと考えている。



しかしめでたい一方で、実に困ったものでもある。

節分という単なる豆まき大運動会が全国で行われていようが、これといってこのちんけな私めに影響はございませんが、しかし誕生日となると話は別で、可愛い女の子と町を徘徊したり、ケーキ食ったりなんぞせんといかん、いわゆる「恋人行事」と化すのである。

これは参った。たまらんのう。





恋人行事といえば、先日のクリスマス・イブなど、酷いものであった。

イブでありながら大学の講義がある、致し方ない、ということを苦しい言い訳として、このセックスデーにおける一人身の辛さを何とか誤魔化そうとしていたが、講義も夕刻8時には終了し、結局辛い辛いシングルベルとなったのだ。

部屋におるとどうも思考が内面化する傾向がある、として街へ繰り出そうにも、キラキラ輝くネオンは私めには眩しすぎ、「Santa Claus is Coming to Town」でも聞こえてこようものなら、ええ私はロンリーよと偉く卑屈になってしまい、より内向化することは必至である。



そこで私は出かけるのはやめ、そうだ外へ価値を求めたのがそもそもの間違いであったのだ、と確信し、このマイルームにおいて私に内在する実存的価値を求めることにしたのだが、これはこれで虚しかった。

テレビを見ようと考えたが、どのチャンネルを開いてもメリーメリーとやっておる。とてもじゃないが見れたものではない。

それでまあ、インターネットを立ち上げて、「クリスマスくらい皆の気持ちがホカホカすればよい」なる偽善的博愛主義の元ショートショート『サイレント・ナイト』なんぞをここにアップしたのだが、あの裏には虚しい気持ちからの開放を求める私の姿が確かにあったのである。

まさかあの話を一人身の辛さにやられ、半泣き状態で書いておったとはお釈迦様でも思うまい。

なんにしても内在的価値を求めると豪語した故、とにかく何が何でもこのロンリークリスマスを楽しんでやろうと思い、この際だからと弱いくせに私はウィスキーとやらに手を出したのだった。



しかしこれがいけなかった。



ただでさえ酒に弱い上に、相手は悪酔いで御馴染みのウィスキーさんである。

案の定ウィスキーさんによって、最悪な酔い方をした私は、ドラッグで言うところのダウナー状態へと陥った上、次々と走馬灯のようにこれまでの憂き記憶を辿ることとなり、結果トイレでげえげえ吐きながら、涙涙のイブを終えたのであった。



おぞましい。

あんまりである。



私の破綻した人間性・私生活ゆえ、モテないことは甘んじて享受いたすが、それにしても何もトイレで恋人行事の日を終えなくても良いのではないだろうか。

私はあの日のことをシェイクスピアに習って「トイレット」と呼んでいる。





さて急遽本日がバースデイなる恋人行事であることが判明した私であるが、過ごし方によっては「トイレット」同様悲しい結果となってしまうだろう。

現に本日の幕開けというのは、前日夕刻より続いた酷い頭痛によって始まってしまった。

なんだかすでに偉く暗雲立ち込めているではないか。



いいですわ、もうええねん、おりのような根暗男はくらーいバースデイを迎えればええのよ。と何故か関西弁でいじけていると、ふと中島らもがエッセイ『恋は底ぢから』に書いていた「その日の天使」の話を思い出す。

これはつまり、誰にでも「その日の天使」は存在し、絶望的な境地に追いやられた時に限って、酔っ払い警察官、八百屋のオバちゃんなど意外な物の姿に化けた天使が現れ、絶望的な気分を救ってくれるというものだ。



さて私のこの絶望感は一体どんなその日の天使によって救われるのかねえ、と思っておったら、意外なことに電話のヤツが鳴りやがったのである。



電話の相手は最近友人の伝手で知り合った女の子で、深夜でも人に電話をかけることができるという正しくゴーインマイウェイ嬢ちゃんである。

して電話の内容というと、これや意外。私が誕生日であることを聞きつけた彼女による、遠まわしな愛の告白なのであった。



というのは全くの嘘であるからくれぐれも信じないように。



内容というのはあるようでないような、ないようであるような。少なくとも私の誕生日云々ということは知ってか知らずかは定かでなくまたどうでもよく、よく言って雑談、悪くいや暇つぶしだったようだ。

深夜1時にである。

まさにゴーインマイウェイ。



しかし大事なのは、私めのことをふと思い出してくれ、連絡をくれたというところにあるわけで、それが本当に嬉しいじゃないか。くっくっく。

さらにこれから一人きり悶々バースデイを満喫すべく張り切っている私にとって、おにゃーの子と話をさせてもらえるというのは、神からの贈り物としか思えん。あれはきっとらもさんの言うところの、今日の天使だったに違いない。



現に調子に乗って、そうだ起きたら図書館行って、勉強でんしてから、さらに調子に乗って街へ出かけてやろう。などと暗雲は何処へやら、しっかりちゃっかりポジティブになっておるのだから、そう今日の天使は意外な嬢ちゃんの姿で現れたのである。



さてもそっからぐっすりと睡眠をかまし、起きてみるとなんとお昼だった。

携帯を見たところ、ほーら言わんこちゃない『おめでとう』メールがとどいとるではないか。嬉しいねえ。これぞ私の人徳の証明だねえ。嬉しいねえ。

しっかりと届いとる。

一件も。

きっとこの人は私にとっての親友に他なりますまい。



ロンリーバースデイと言えど飯は豪華にいこう。それがええそれがええ。とて豪華な飯を食らうべく、向かうは学食であった。

いや、馬鹿にするのはまだ早い。とにかく私は無類の学食フリークなのだ。

事の発端はというと、私が勝手に心の師と仰ぐ大槻ケンヂ氏が、学生時代ひねもす学食でカレーを食っておったという逸話を耳にしたのと、時同じくして「オレンジデイズ」なるキャンパスライフを青春の観点から描くっちゅうくっだらないドラマにて、学食が青春のステージとして登場したことに起因する。

ようは大槻氏の持つロックスピリット(?)と青春=セックスという安易な下心から学食に週5で通うフリークと化したのであった。



さて本日も、とて向かいましたところ、本日の主役が参ずると知ってか知らずか、如何にも青春謳歌型の若者がわんさかとインザ学食なのだ。

別にいいのだけど、なんだかあの中でロンリーバースデーパーティーというのも気が引ける。

逆に、いやこれは申し訳ない、すみませんここ通りますよ、ああどうもすみません、と主役のはずの私が惨めな扱いを受けるではないか。

終いには、卑屈になった挙句逆切れかまし、ふざけんじゃねえとふてくされて、以下帰宅、ウィスキーさん、とまるっきり「トイレット」の復元になること間違いなし。



それではいかん。

今日はハッピーバースデイトゥーミーなんであるからして、出切れば日ごろの悶々たる雑念の餌食とはならずに、ポジティブな方向で進めていきたいわけだ。

ということでとりあえず学食は後回しにし、残るは街へ繰り出すか図書館へ行くかの二択である。



ただしこの時点で私のお腹はグルグルとまるで野犬の如きうねり声を上げておったので、図書館へ行くには万全ではないと踏み、必然的に街へ繰り出すことになったわけである。

クリスマスと言えば街を揚げてのお祭騒ぎ、ネオンにセックスソング。単身でかけた日には虚しいことこの上ないわけだが、本日は単なる節分にしてマイバースデイなわけだからおそるに足らぬ。

足取りも軽やかである。さーてさてさて、大いに歩き回らせていただきましょか、とね。

しかし街へと着いてみて、早速私は大いなる誤算に気づかされることとなった。



見事なまでにピンクの装いをした街。

セントバレンタイン。



ふざけるな!こちとらロンリーなんじゃい!文句あっか!

結局のところ人の性欲に付け込んだ商売であるくせに、なーにがセイントじゃ!あほ!ぼけ!セックスバレンタインと明記しておくがいい。恥を知れ。



なんてえ、心の中では罵倒し尽くしつつ、しかし一見「ぼく今年はいくつもらえるかなあ」などという体裁を装って、私は街を練り歩いた。



日ごろの鍛錬とは大事である。常日頃から非常事態に備え、あらゆる活動を進んで実行すべきであるということに、本日ばかりは否が応にも思わされることとなったのだ。

私はどうもウィンドウショッピングというやつが出来ん体質なのだ。これはまさに日ごろの鍛錬不足。愚の骨頂。

ノーマニーノーフレンドの私のような者が街へ出でてすべきは、楽しげに商品を物色する、ウィンドウショッピングであるわけだが、私は全く持ってこれが出来ん。

華々しい店内に自分がいるという時点で手の平にじっとりと汗をかく始末、その上店員の方から「この商品はローライズで云々」などと話し掛けられたりしたものなら、口角泡を吹きながら「はいはい!買います!これ欲しいわあ!」などと思いもよらぬ一言を吐き、悲劇的結末を迎えかねない。



つまり、ウィンドウショッピングなどという戯けたことをしておると悲惨極まる事態になるからして、私はしかと目的を持って行動せねばならないということなのだ。

して私めが向かいましたるは、チェーン店の古本屋だったのである。

この雑然とした汚らしさ、なんとも居心地が良い。軽く1時間ほど店内をうろつき回る。

ロンリーバースデイ、インザ古本屋。

いよいよ虚しさというものが漂い始めたではないか。くっくっく。



これではいかんから、そうだバースデイプレゼントを買おう。とて小生無謀にも洋服屋さんに島を変える。

この洋服屋さん巡りが長かった。

商品を吟味していたといえばある意味そうであるが、なにしろノーマニー。上限価格を\5000に設定した上にジャケットを欲しがっておるのだから、価格破壊に挑戦していただかんと到底見つかりますまい。

結局のところ数時間の徘徊の後、疲労困憊し、フラフラと入り込んだ店で、欲しいかどうかもわからんようなジャケットを「値段良し!」として購入。逃げるように帰路についたわけであった。



さて残る行事は学食と図書館である。

まずは先ほどのフラフラの一因である空腹を満たすがため、学食さんに入らせていただく。

あいも変わらず青春謳歌型の学生達がワイワイやっておるが、背に腹は食えません。致し方ない。

ええどうもすみません。来てしまってすみません。とやや卑屈になりながら、飯を盛る。



我が大学の学食というのが洒落ておって、オーダー制ではなく、バイキング方式なのである。つまり自分で盛って重さで値段が変わるってことね。

で本日レジスターに行きましたところ、なんと\500オーバーという記録的数字が出たわけで、これは普段の50円増しに当たる。

バースデイゆえ豪華に、とのことで来たわけだが、私めの豪華とはたった50円の差なのであった。虚しい。

この寂しさにさらに拍車をかけたのが、飯を食いながら読みふけった本、中島らも著のエッセイ、『アマニタ・パンセリナ』だ。

ちなみに内容はというと、全てドラッグに関する体験談などというゲテモノ。

ロンリーバースデイに単身学食の賑わいの中、「そうかハルシオンはそんなトリップが得られるわけね。」などと関心しながら飯を食らう。

なんだか書いてて泣けてくるではないか。なにもそこまで落ちんでも。くっくっく。



かくして食事中にドラッグという、如何にも今後役に立ちそうもない知識を得た私であるが、いよいよ本日のフィナーレ、図書館へ向かう。

この図書館というところは、ただ行って座って本を読んでおるだけで、偉く勉強した気になれるという便利極まりない所である。

大したことをせずとも何かしらの充実感を与えてくれるものだ。

さらに本日は幸運にも友人と偶然出くわし、また上手いことこいつが実に気分のいいヤツで、なんだかホカホカした気持ちにさせてくれたのであった。

無論、誕生日云々という話題は一言も出てこなかったわけであるが、しかしそうなると、一般日の何の変哲もない(と思われている)この私にあそこまで気持ちよく接してくれたわけだから彼の人徳とは素晴らしきものだということが言える。





なんてことを書いておったら、ほうらほらほらもう今日も終わりではないか。

誰からも直接に生誕日を祝われることなく、ほうら本日ももう終わりではないか。



しかし、昨年のバースデイや「トイレット」などと比べると、本日の如何に生産的であったことか。感心するわ本当。

少なからず外の世界へ、積極的に価値を求めたという点では大いなる成果が挙げられたといえるだろう。

そして何だかんだいってみて、実際のところ充実感はあり、楽しくもあったのだ。

それもこれも、はっきり言って私のバースデイを祝福してくれた、皆様のお陰である。



つまりそう、ここまで長々と書き狂ってきたのは、例え一人ぼっちのバースデイであれど、こうして私の事を気にかけてくれて、わざわざ貴重な時間を裂いてまでして私めに連絡を下さる、あるいは後日になって「しもた、あん日はKの誕生日やった」などと慌ててくれる(きっと少数しか連絡がなかったのはつまりそういうことに違いありません)、同士・心の友と呼ぶべき方々が私には大勢いるということが言いたかったのである。

そして、それは非常にグレイトフルなことであり、アイムソーハッピーであって、しかるに恋人などというギブやテイクをニードするような下らんもんは私には一切ノーネセサリー、というこつなんである。

どうだ。参ったか。

くっくっく。



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